「お、同じ?」
ようやく呟いた声をチロリと見上げ、緩は鼻で軽く笑う。
「触れたのでしたら、やはり謝るべきですわ」
「何でだよ? ワザとじゃねぇよ。別に汚したってワケじゃねぇだろ? だいたい、叩いたワケでもねぇし」
相手の言い分にまったく納得できず、興奮気味に言い返してくる。だが緩は、そんな相手などまるで意に介さない。それどころか、相手の態度を汚らわしい物でも見るかのような視線で跳ね返し、目を細めた。そうして
「お伺いするほどの事ではないとは思いますが」
と前置きをし
「あなた、ご自分の立場をご理解していらっしゃる?」
「は? 立場?」
何を言っているのだと聞き返す。だが、緩の言葉にもう一人の男子生徒が少し目を見開いた。
「立場? 何だよ、それ?」
徐々に興奮の高まる眼鏡の男子生徒。その肩に、別の男子生徒が手を置いた。緩は口元を緩める。
「そちらの方は、おわかりのようね」
多少芝居かかった仕草で肩にかかる髪の毛を手で払い、片眉を揺らす。
「あなたのような庶民風情が他生徒の着衣に触れるなど、甚だしいにもほどがあります。朝から相手を不愉快にさせたのですもの。非はあなたにあって当然」
「なっ」
言い返そうとするのを、もう一人が必死に止める。
「なんだよっ」
止める友人を振り返る。だが
「やめておけ」
低く、静かに制する声。
「コイツ、後ろに上級生がいるはずだ」
緩は一歩前へ出る。
「その通りですわ。歯向かうなどといった無駄な行為は、何の得も呼びません」
そうして、謝れと咎められる男子生徒を睨めつける。
「あなたのお父様、たしか丸川家具にお勤めでしたわよね?」
その言葉に、ただ無言で瞠目する相手。
緩は、何も言葉の出ない相手に勝ち誇ったような瞳を向け、ゆっくりと瞬きをした。
「生徒会副会長の廿楽先輩をご存知? あの方のお父様と丸川家具の御方とは、ご親交がおありですのよ」
一般人が聞けば首でも捻りたくなるだろう。スカートに鞄が触れたという話と父親の職務に、何の関係があると言うのか。
だが話が進むにつれ、男子生徒は逆に自分の置かれた立場を理解したかのようだった。そんな彼に、友人が追い討ちをかける。
「お前は中学が唐渓じゃねぇから知らないだろうけど、中学ん時、一人転校したヤツがいる。親が店やってたんだけど、客が激減して学費が払えなくなったんだ」
ただまっすぐに、眼鏡の向こうから緩を見つめる男子生徒。
「そいつの親父は、転校した後に自殺したんだ」
何の言葉も出せない男子生徒に向かって、緩はトドメを刺すように笑った。
「謝りたくないと言うのでしたら、それでもよろしいですのよ」
その言葉に男子生徒の唇が微かに震える。瞳は泳ぎ、緩から外れて辺りを彷徨い、やがて緩の後ろでムスリと自分を見上げる女子生徒のそれと交わった。
聡や瑠駆真とは違い、この生徒は入学して数ヶ月のうちに、唐渓という世界の実情を理解し始めているようだ。口先まで出掛かった反論をゴクリと飲み込み、乾いた唇を小さく舐める。
この生徒の親だって、高級家具を専門に扱う会社の役員だ。だが、廿楽の家柄には遠く及ばない。役員という肩書きが外れてしまえばただの一般人に成り下がってしまう一個人に、強力な人脈と財力を武器とする存在など、相手には出来ない。
遠巻きに事の次第を見守る周囲。誰一人、味方はいない。
「す… すみませんでした」
深々と頭を下げる少年の姿。状況を傍観していたヤジ馬たちが、クスクスと含み笑いを響かせる。
相手の姿に少女はフンと鼻を鳴らし、緩はヒラリと左手を振る。
「今回のところは大目に見てさしあげますわ。ですが、このような事を頻繁に起こされるようなら、こちらもそれ相応の対処をせざるを得ませんので、そのおつもりで」
自分たちがいかに寛大な存在であるかを強調しつつ、相手を威圧もし、緩は背を向けた。そうして あぁ と、思い出したように肩越しで振り返る。
「言葉遣いにも、気をつけた方がよろしいですわよ」
そう言って顎を上げながら口元を吊り上げ、後ろに女子生徒二人を従えてその場から去る。背後からは悔しそうな呻き声と小バカにするような囁き声。だが緩の心内には、罪悪など微塵も存在しない。
このような世界が嫌だと言うのなら、転校でもして逃げてしまえばいいんだ。
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